Episode21-273 23:47

このページも生きるための手段。

時間ないから15分で残す。

希薄をどうやって生きるか。

希望を生み出し信じて生きるのか?

正直信じるという行為こそ、最も不安定な綱渡りだし希薄さはそこにある。

これが人間にとってのさだめなら?

どこに落ち着く?

信じることに落ち着くのであればそれは物凄く危険な行為だと感じるようになってきた。こんなこと思うのは僕だけでいい。

だって、何か信じることは他のものを見落とす、または目をそらす事を正当化することであって、歩み寄るどころか、他者を飲み込むことを喜びとすることに相違ない。

信じるもの、こと、ひと。何でも自由だから人と違う。それが邪魔されるとネガティブな感情が生まれてしまうのは自然としよう。

それを理性で押し殺したとする。一見よく耐えたと喜ばしげなこの行為だって、理性と呼ぶ解毒剤で麻痺させているだけに違いない。

もう一度確認しても、信じることや理性や喜び、それ自体が悪いのではない。

それに対して皮肉だったり、ゆがんでるなんて言うのは自分から負けている様なものだ。

今までの自分はここまでしか思考を回さなかった。

成長してるじゃん自分!

ふざけんな。ふざけんな。

成長してるとか言ってそれは何の解毒剤だ?

そもそも成長とは何のための成長なんだ?

大人になるための、いや人間になるためのプロセスか?

それは必要だ。人との繋がりは幸せを生む。笑顔を生む。愛なんてまだわからないけど愛を生んでくれるかも知れない。他者と関わることは、自分を知ることでもあり、アイデンティティだって生む。

それは本当に必要か?必要だ。

だから僕は足りないところに気づけるんだ。

感謝してるし尊敬してる。

でも気付いて成長して、直したところで何になる?

人間に一歩近づいて何になる?

こんな俺は俺である必要なんてあるのか?

そうだ、この感情をアートにしよう。この感情がもしも、僕だけの特別なものなら価値になるかもしれない。

いや、こんなこと思ってる人沢山いるだろう。でも思ってるだけじゃなくて、表現することが特別なら?

やってみようかな、届くかな?

そもそもアートって何だ?

そうやったらアートになるのか?

なるのか?

.

.

.

なるのか?

アートは結局

人だ。素晴らしいもの、心を動かすものが作れればそれで良いと言うわけではない。

残念だ、この100倍も先へ思考は進んでいくのに残せるのはほんの数パーセント。

普段話してるのはこの中の一行程度。

説明しろなんて言われても、しちゃいけない。なんて理性働かせて弱いふりをしてしまうし、実際弱い。弱いと言うか人間になりきって乗り切る。

アートにして表現したとしても、そのアートは本当に僕か?僕なのか?

僕だと言われて、褒められたりもするだろう。

でも、本当に僕の意図を全て感じ取ってくれる人はいない。説明したとしてもだ。

だから特別なのか?

いや待て、アートにしてもないし、褒められるとも決まった訳じゃないのにそこまで考えて何の意味があるんだ。

やって評価されてから言えよ。

そうなんだよね。行動って最大の解毒剤でさ、行動したら何か返ってくるから。賞賛にしろ批判にしろ、白い目、拍手。

その全てが自分の成長に繋がるって思い込めれば、ああ行動して良かった!これでまた成長できる。って喜びを感じられる。

そして最終的にはどこに辿り着くんだ?どこに?

喜びを多くの人に届けて世界平和を実現させようか。皮肉じゃない全く。

けどね信じるものは人それぞれなんだよ。

世界平和はどんな状態だ?って聞かれて出す答えなんて自分が信じていることに過ぎなくて、間違いではない。そんな程度だったりする。

結局Ep21-274 0:38

15分で伝え終わるはずの内容を考えるのに5分。

15分の内容を書き出すのには1時間かかる。

寿命がいくらあっても足りないと初めて思った瞬間。

そして0:45分。

また考えて0:47分。

1日が終わりep21-274 23:34

そう。何も残らないから世界平和まで言えるし、それを疑えるから資格もあるって考えてる。

自分自身に何もないから解毒する物すら見当たらない訳だ。

ネガティブな事にはめっぽう強いが、行動に意味を見出してやりたいことがあるときは、人一倍逃げ出したくなるというか先延ばしにする。

もう終わりだ。人と関わりを持つことがどんどんと怖くなっていく。

死にたいというより、全て消え去った状態を昔から求める癖がある。

この身体、何よりもこの脳みそが僕を閉じ込めて離さない。

滅したい。

言語にすら縛られている。こんな機能、僕には要らない。

何かを感じて、

感じるだけなのに言語を使って感じる。

どうしようもない。

どうしようもないのだろうか?

俺はここまで何かを諦めたことは一度もない。

だからまだ死んでいない訳だし、

人には意味のないことも自分に問いかけ続けてここまで来たわけだ。

だからまだ生きている。

縛られているものすべてから解放される状態を考えてみる。

縛られているものがないとした時、何か解放を感じることが出来るものが残らなければ矛盾を生むだろう。

それを魂のような物質以外のもので考えるのは極めて理にかなっている。

古代から文化はそうやって成り立っている。

魂を考え、死を考えたときそれは

想像し得る全ての中で最も大きな喜びかもしれない。

言語の話からここまで派生したのだが、

繋げるとそう。言語にも囚われて僕は(僕たちは)魂の自由な叫びを妨げられている。

ピュアな状態からかけ離れている。

動物を考えると、人間基準では複雑とは言えないものの、大きな社会を構成するのに充分なコミュニケーション能力を持っている。

コミュニケーション方法は発話能力だけではないし、ピュアそのもの。

自然と言うと日本では草や木、海や川を連想するが

人為が加わっていないありのままの状態を指すため、動物を含めて相違ない。そして宇宙から次に出るサイコロの目まで自然である。

生物である人間と動物の魂を比べたとき、より崇高なのはどちらだろうか。

僕は発話なしにコミュニケーションが取れないだろうかと考える。あわよくば言語を使わずに。

その状態は野蛮なんかではなくて、必要最低限の生活を送るのには十分な上に、お互いを思いやらなければならない状態に陥る。じゃなきゃ伝わらないから。

声帯なんてなきゃいいのに。

何度そう思ったことか。

アートにも専念できるだろうし

意味のあるコミュニケーションも増すだろう。

くだらねえ。じゃあやれよ。

って言うけど、やって出来た気になってるやつは多くて、しかもその壁は厚くて。

行動が全てじゃない。

やらなきゃ始まらないとも言い切れない。

とにかく、思い当たるもの以外にもこの世にあるもの全てを無視せず諸問題を本気で解決したいのなら、

思考や欲望、病や飢えすらも消し去り、

肉体から解放されるのが一番早い。

違和感あるかな?

僕自身、成長しようと、経験を積もうと、機会や出会いを渇望している状態が一番ダサいと感じるんだ。

1人でできれば良いんだけど、頑張ってるアピールとか、苦労話とかしてしまう。そうやって優越感に浸ることで本当の弱さを無視して空っぽになってゆく。

昔は言ってたよね人間はダサい、泥臭いところがかっこいいんだって。

確かにそうなのだけれど、それを見せびらかしては意味がないじゃないか。

芸術で考えてみると、芸術だけを突き詰めたって、なっんの意味もない!

芸術はどこまでできるか勝負でもないし、だからと言って期待してる人の足をすくうような、これも芸術だし。でしょ?みたいな縮こまったことも出来ない。

だって!俺の芸術は俺が死んだ時に完成するから。

俺が生きて、生きて、死ぬことが最大のアートなんじゃないか?

それは静かな沈黙でありたい。

家族に囲まれて、笑顔で、いや喜びを持って送って欲しい。

沈黙の遺産だ。

ペコペコ頭を下げたり、踏ん反り返って歩くような真似はしたくない!

気高く。そう気高く!

気取ってるって意味じゃなくて!

魂を震わせて生きていたい。

そう、俺は生きていたいんだ!

まだまだまだまだ生きていたいんだ!

だから!その為にどう生きるか。そう言うわけ。

声帯が切るか切らないかなんて問題じゃない。

思考の断片に過ぎない。だろ?

あと10年もすれば死ぬ覚悟じゃなくて、死を迎え入れられる準備が出来る。

世界には、夢を持てない、自分を持てない、自信を持てない、学べない、努力できない人もたくさんいた。

世界には、夢しか見てない、自分のことしか考えてない、視野が狭い、欲深い、傲慢な人もたくさんいる。

そのどっちだろうと何であろうと、何かで自分を覆っているのならくだらない。

Ep21-277 10:09

ベストなコンディションで生きていたって、それを誰かと共有しなきゃ生きて行けないじゃないか。

それが愛ならまあそれで良いのかも知れないが。

芸術においての承認欲求はどう説明すべきだろうか。それが先行する作品が良くないとすらも言い切れない。

しかし、人が出来る最大の表現が死と捉えたとき

いかに芸術がやったもん勝ちかがわかる。

どこまでやるか、やられるかの競い合いに見えてくる。

このアイデアをこの規模で、こんなに沢山の人に観てもらえた。よっしゃ。

とか、ああ俺が考えてたアイデアなのにあの人に先にやられちゃった。くっそー。

とか、俺がこれをやったのが一番だろうなーやってやったぜ。とか。

それ自体、素晴らしいことなんだけど、何かが欠けているはずじゃん。

僕は虚しくなるだけなんだ全ての成功も経験も。

結局、問題はどう生きるかだと思う。

おじさんおばさん、赤ちゃんだろうとみんな同じ。

アーティストだろうとそうでなくても。

みんな同じなんだ。

どう生きたかが死によって最大の表現になる。

つまり!どれだけ魂を崇高な状態に保てるかがテーマだ。

俺はそれが出来ないうちは死にたくない。死ねない。

生きていたい。生きていたいんだ。

生きていたい。

僕が考えるに、動物の魂は崇高である。

煩悩に囚われていないから。

清く儚く、気高い。

僕らはそれ以上何を望むのだろうか。

死んだ時間。

Ep21-279 10:37

これ以上何を望むのだろうか。

僕はただ生きていたい。

僕にとって生きるとは毎日違う日を過ごすという事だ。

じゃなきゃ意味がない。固定された理想なんて虚構でしかない。世界や人間の思考はそんなに単純じゃない。

同じ景色に違う価値を見出すことは簡単だ。

違う景色を喜びに変えることは簡単だ。

見る。見えないものを見る。

恥ずかしげもなく残すけど、人や動植物、モノの魂を見るように勤めている。

どんな形だろう。一瞬にして、対象の物理的な裏側だったり、インサイドを覗き込む。この魂はどれほどの崇高さを持っているだろう。

それは今その瞬間だけじゃなくて、

過去未来現在全てで。

それは、絵を描くために観察する行為と似ている。

でも光のない世界。空や線を見る。

すると魂の境が曖昧なことを自ずと知る。

電車に乗ってるあのおじさんの魂はどこまで繋がっている?

吊り革から、床から、空間にまで行き渡り、乗員全員含めて電車まるごとの魂をも担っている。

隣の女性も服から鞄、傘に渡るまで、それぞれの臓器各組織や細胞一つひとつに魂が宿っている。

もちろん宇宙まで繋がって行くんだけど、電車の車両の中身全てとトンネル、走っている動作くらいしか一度に見れないから、きっと修行が必要なのだと思う。

それは捉え方、信じ方みたいな人それぞれの物よりも、視覚的かつ物理的な真理に近い。その上での自由なんだと思う。限りなく当たり前のことだと気付いた。

見る。と言うことはどの程度経験に左右されるのだろうか。

日常では大抵のものは見慣れてしまっている。

想像するときひとはその記憶を元に、形を作る。

見る。から記憶へ。

例えば魂が見れるという状態が完成するならば、何も見た事がない人でも対象を見通せなければいけないはずだ。

どの程度魂の形ははっきりとしているのだろうか。

言語に縛られているのと同じく、視覚に人間は縛られている。

他の感覚も全てそうである。

すると、物理的な殻に囚われている時点で自分の魂は完全ではないことも知る。

それは動物も全く同じ。経験測に囚われない世界の見かた。それ以上に全ての感覚を超えた、生き方があるはず。

答えを出すのはまだ早すぎる。みんなそうだ。

もっと崇高なものが観たい。そう思うようになってきた。

Ep21-279 11:08目的地到着、以降は崇高を紐解く。

それよりも先にEp21-280 2:10

僕らはふわふわ中毒終演、打ち上げ会場トイレ個室にて。

幸せにくらうことはそう何度もない筈である。

今は物凄く幸せだ。そう、

6:02

幸せは待つもんじゃない。

数ヶ月前までは自分に鞭打って

幸せを求めてて、てか

幸せなんてわからなくて成長を感じる、

息継ぎの瞬間を幸せだって思うことで賄っていたから、成功も経験も虚しかった。

だから今の力を抜いて自分らしくいれている状態というのはとても、幸せを呼んでくれる。

驚きと言うのは人生に必要な要素だって気づかせてくれた日だったね!

偶然と必然性というのは間違ってない。

またその中身。自分が居てはいけない場所なんて地球上に存在しない。

そこでいい。どんなに不幸だろうと幸せだろうとそこにいる意味は必ずある。

無理しなくていいよ。

Ep21-280 21:03

くだらねえ。俺がバチクソやってやらあ。

美に縛られる人生なんて最悪だ。

究極や答えを探し求めて、手に入れられないものにひれ伏す。負けじゃないがしかし、恐れや不安、自信のなさが込み上げる。

当たり前だ。美なんだ。美しくて当たり前だろ。

それが評価されるのは都合のいい変換がなされてるだけで。

とてつもない努力で、美を扱えるようになったとしても、賞賛されるのはその努力で、凄いねお前みたいには出来ないや。凄いね凄いね。凄いよ。

それでもお前は美の牢獄に閉じ込められたまま。

素晴らしいさ。それは。どこにでもそれは存在する。

カタチ、レイアウト、配色、カーニング、対比、バランス、丸み、とんがり、跳ね、払い。

それを扱うセンス。美の使い手

うんざりだよ。世界はそうやって回ってるんだ。地球は丸い。月は今ここ、円周率、フィボナッチ、数々の聴いたことのない美しい数列と比。

ふざけんな。最高だよ。最高に興味あるし最高にどうでもいい。

俺は俺なんだ。邪魔すんじゃねえ。

素晴らしいものが溢れてるこの世の中で、素晴らしいもの作ろうと努力してるお前は何のために生きてんだ。

デザインは綺麗に伝えてろ!

勘違いのアートも俺には必要ない。

表現なんてクソ喰らえ。

狭まったパターンは本当に薄い。

みんな違ったことをしようとしながらも、世界の真理に縛られすぎている。

パワー権力クソ喰らえ。

届くのは純粋な気持ちだけだ。

俺は作品なんて一生作らねえ。

作ってたまるか。理想に比べればそんなんおままごとでしかない。

理想なんてクソ喰らえ。

俺は生きる。生きたい!ただそれだけだ。

それは届かせるべきじゃなくて届けって心で。

待つものじゃなくて、驚くもので。

生きてやる。

俺は俺なんだ。

てめえらの勘違いのせいで、本当に重要なことはないがしろに。幸せ?豊か?クソ喰らえ。

俺はその虚構を潰しに行ってやる。

生涯かけてな。

死に物狂いで生きてやる。

そうさ。表現、作品クソ喰らえ。

俺の生きるテーマはレガシー。

俺として生きるそれだけだ。

最期に何が残るか見てやがれ。

最後に残る物は何か驚きやがれ。

それが俺にとってのアートだ。

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