Border//

Episode21-307

少し前まで色んな境界があった筈だ。

良いものと悪いものの基準もはっきりしてた。

それらが必要かどうか考え直した訳じゃないが、前より柔らかく

世界と柔軟に対話できている気がする。

境界は人間が創り出すものだ。

定義するかどうかではなく、

違いを見出すことがそれに当たる。

主観的なものの見方がどれだけ曖昧で、思い込みを含んでいるか理解出来るようになった。

曖昧で信頼出来ないから、明確な基準を求めてしまうのは人間の性だが、

敢えて境界を無くすことも必要だし、想像次元では簡単なことだ。

そこにあるのは心地のいい無秩序でいつも見てる社会とは全く別のもの。

むしろ自分はすでに死んでいるのではないか?

まあそれはないんだろうけどきっと、

アインシュタインは時間に過去現在未来の区別がないとした。

かなりあり得る。

人間が時間を測っているだけで本来、今は今ではなく、全ての時間が同時に存在しているというもの。

なるほど。

どんなものだろう。

そうか。情報や魂の概念はそれに近いんじゃないか?

同時に存在か。

ある物に起こった事象は過去として記録されるのではなく、紛れも無いそれ自身の存在になるのでは?

今ではない現在という存在そのものか。

過去に起こった出来事はそれ自身に、世界に刻まれていて

同時に全ての可能性(未来)もそこに存在する。

それらは事象としてプロセスを持つのではなく、

ただ、そうなのである。

僕が絵を描いたとしてら

それは何も無い状態から絵が出来たのではなく、器の中にあるそれぞれの存在が、絵という形に変化したに過ぎない。

さらに境界などが存在しないが故に、

その一つひとつを数えて区別すること自体がナンセンスであり、

全てが繋がって出来ている。

時間をひとつと考えたとき世界はひとつに落ち着く。

時間を区別して考えたとき、世界を無限と捉えざるを得ない。

それらが同時に存在するのが高次元なのかもしれない。

それぞれの関係性がもっと直接的な筈だ。

潮の流れが複雑なように、僕らの運命も複雑に絡み合っているはず。

僕が僕としての意識を持って存在できるのには限りがあり、残された時間と世界の存在とではとてつもない差があるから、

僕らは今を今として捉え、未来を未来として捉えどう生きるのか翻弄されるほかないのである。

如何に生きよう。

自由だ。

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